更新年月日・2014年2月18日




「自立」について考えること

今年度も残り1ヵ月半ほどとなりました。本校では、今年度も学校目標の一番最初に「自立と社会参加にむけた学習の般化を進める」ということを掲げ、教育活動を展開してきました。様々なご支援・ご協力ありがとうございました。

ところで、この「自立」という言葉ですが、「身辺自立」「経済的自立」「精神的自立」などと使われ、目指す自立の意味も広範囲です。そして、自立というと、とかく『自分一人で何でもできること』と、結果として捉えられがちですが、私は「その人が自分で何かをしたいと思う」ことこそ「自立」の大切な第一歩だと常々思っています。

「自立」という言葉から、私はかつて出会ったある生徒のことを思い出します。その彼(Nさん)は現在、福島県にある自動車部品のメッキ加工会社の工場で働きながら、グループホーム(勤め始めた頃はまだ、まかない付きの社員寮でした)で生活をしています。

私が彼と出会ったのは、今からもう十数年前、彼がある養護学校の高等部3年生の時でした。横浜市内の彼の自宅に近い本社工場で、春と秋の※現場実習(※校外で行う働く練習)も終え、会社のかたからの評価もまずまずだったため、誰もが「家から近いこの工場で採用してもらえる」と思っていました。ところが、社長さんからは思いもよらない「福島工場であれば採用する」という一言が返ってきました。担任だった私は「まかない付きの社員寮での生活とはいえ、Nさんには一人暮らしはまだハードルが高すぎる。しかも、遠い福島県か。社長さんは何というひどい選択をさせるのだろう。」と悲しい気持になったことを覚えています。

その後すぐに、社長さんからの勧めで私と彼は福島を訪ねてみました。工場や実際に生活する地域を見て回りながら、福島の人たちの気持ちの温かさや素朴でのどかな環境に触れることができました。それでも、私は、「きっと彼はここで生活するのは嫌だと言うだろう。」と確信していました。ところが、彼からは、「ここで働いて生活したいです」との答え。予想外でした。

あれから、もう10年以上がたちました。あの時彼が自分で選んだ、家族と離れた福島での生活がずっと続いています。今では、職場での仕事はもちろん、お風呂掃除も、トイレ掃除も、買い物に行くことも、年に数回新幹線を使って自宅を往復することも覚え、ほとんど全て自分でできるようになりました。何年かに一度福島に会いに行くと、会うたびに一人の人間としてのたくましさが増し、地震が大嫌いな彼が、3年前にあの大震災を経験した時にも、職場の仲間と励ましあいながら、震度6弱の恐怖を乗り越えたと聞きました。

今から振り返ると、あの時の彼の「自分一人で何かをしたい。」という思いが、彼の成長の原動力になったのは間違いありませんが、もう一つは社長さんが、彼の未知の力を信じ、彼の成長にはどんな環境が必要なのか、ということを長いスパンで考え、見極め、あえて福島工場での採用を決めていただいたこと、今さらながら本当に感謝しています。と同時に、私は教員でありながら彼の可能性や将来の姿を信じられなかったのではないかと、とても恥ずかしく思えます。

このことで私は、どんな子どもたちの中にもある『自分で何かしたい』という気持ちを引き出し、それを育み、実現することが「自立にむけた学び」では一番大切だということを知りました。そして、どうしても心配や大人の価値観が先走り、子どもがしようとしていることを先回りして無理に止めたり、手伝ってしまったり・・・場面によっては仕方のないこともあるとは思いますが、『自分で・・・』という子どもの気持ちをできるだけ大切にしつつ、それを実現しやすい環境を工夫したり、ちょっとしたアドバイスや支援をすることで子どもの可能性はどんどん広がっていくものだと実感しています。

                                           (教頭  安藤 徹)


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